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2008年11月6日 更新 香川の老舗

オンリーワンの技術と顧客視点の商品開発で挑戦を続ける創業84年の老舗-ハイスキー食品工業 「マンナンミール」のブランド名で、新感覚のこんにゃく食品を製造・販売するハイスキー食品工業(株)。三つの特許を持ち、大手企業のOEM受注、海外へとビジネスのフィールドを広げている。そのベースには、徹底した顧客志向と揺るぎないビジョンがあった。

2度の転機。危機を好機に・・・

ラムネなどの清涼飲料メーカー「ヒシヤ飲料」として大正13年に創業。昭和39年に「ハイスキー食品工業(株)」に組織変更した。三代目社長の菱谷龍二さんは父親の急逝により、29歳で社長に就任した。

飲料水が主軸だった昭和40年代前半、最初の転機が訪れた。回収・再利用するリターナブル瓶から缶などのワンウェイ容器に変わり、市場が一気に拡大した。大手が台頭し、リターナブル瓶で地元を商圏とする中小メーカーは淘汰された。「負け組だった」同社は副業のこんにゃく製造に注力することを決めた。
経済が安定成長を続けた時代。こんにゃくの売上も右肩上がりだった。バブルが崩壊し、長らく続く消費低迷の時代が訪れるまでは・・・。その頃、2度目の転機を迎えた。

技術投資で3つの特許を取得

「バブル崩壊後に売上が止まった。他者(流通)の力で売上を伸ばしたが、今後は自力でやる。そこで設備投資か、技術投資かと考えました」と菱谷さん。就職氷河期で中小企業も優秀な人材が獲得できた。技術開発に予算を計上し、開発課を設けた。
目指すは付加価値のある製品づくり。こんにゃくはpH11の強アルカリ性食品だが、食品のおいしい領域は中性から弱酸性。こんにゃくのアルカリを抜き弱酸性にすると調理時間が短縮され、旨みをつけることができる。業界では不可能と言われた新技術に挑んだ。
苦労の連続だったが、地道に研究を続けた。8年後、業界初の「こんにゃくの脱アルカリ」が実現した。平成18年に特許を取得。続けて「天然色素で着色する」技術などで2つの特許を得た。

答えは「お客様が求めるもの」

「何かに迷った時、”すべてはお客様“だと考えます。答えはそこにある。お客様が求めているものは何か。それが自分たちがやるべきことです」と菱谷さんは話す。
健康志向が高まり、低カロリーのこんにゃくには期待が大きい。「生活習慣病や肥満を気にせず、お腹いっぱい食べられる幸せを。こんにゃく製品でそれを叶えたい」。同社のミッションだ。

擬似食品で新たな市場を作る

物性(=食感)をテーマにこんにゃくをベースにした「疑似食品」を開発中だ。こんにゃくの食感を本物に近づける。その技術を特許申請した。麺、かまぼこ、ハンバーグ・・・こんにゃくで練り製品の疑似食品を作ることが可能になった。「よく『高級かまぼこはできないが、天ぷらはできる』と例えています。市場は天ぷらの方が大きい。こんにゃくが原料だと低コストなのもメリットです」。菱谷さんは今後のビジネスの方向性をそこに見い出す。

技術が広げるビジネスフィールド

技術を認められ、複数の大手食品会社からOEM生産の依頼を受けた。かまぼこメーカーとの共同研究も進む。ビジネスは対消費者から対企業へ。後者の売上は2割程度だが、2〜3年以内には5割を目指す。さらに台湾では地元食品会社がOEMで商品を製造。米国にも販売ルートを持つ。「我々の武器は技術力だけ。小さな会社に市場拡大は無理だが、当社の技術を利用して大手の力で市場を拡大していただけたら。次の20年にはそういう期待を持っています」。

菱谷さんは社長就任当時を「地雷原をスキップして走っていたみたい。地雷を踏まなかったのは運がよかったかな(笑)。ただ、前へ進んでいかけなればと思っていた」と振り返る。お客様の求めるものを提供するために技術を磨き続ける。就任時2億2千万円だった売上は最盛期で4倍になった。現在出願中の特許は7つ。その承認を待っている。

ハイスキー食品工業

  • 1924年(大正13年)ヒシヤ飲料 創業
  • 1959年(昭和34年)ヒシヤ飲料(有)設立
  • 1964年(昭和39年)ハイスキー食品工業(株)に組織変更
  • 1985年(昭和60年)菱谷龍二(ひしたにりゅうじ)さん代表取締役に就任
  • 1996年(昭和61年)開発課を設立
  • 2006年(平成18年)「脱アルカリ処理による弱酸性こんにゃくの製造技術」で初の特許取得
住 所 木田郡三木町氷上219
電 話 087-898-1125(代)
資本金 1000万円
売 上 5億5000万円(平成18年8月期)
従業員数 25人

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