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【PRIME PERSON】石の「声」を聞く! - 石のアトリエ 主宰 財団法人イサム・ノグチ日本財団 理事長 和泉 正敏さん

「美術学校へ行っていないのがいい。英語ができないのがいい。石が好きなのが一番いい。一緒に石の勉強をしましょう」……1964年、60歳のイサム・ノグチが石を求めて牟礼に来た。25歳の石職人と出会い、大作「黒い太陽」の制作を依頼した。 石のアトリエ主宰、財団法人イサム・ノグチ日本財団理事長の和泉正敏さん(71)は、出会いから亡くなるまで25年間、ノグチの片腕となり、没後は未完の遺作を完成させた。
「ノグチ先生と一緒にいた時間が長すぎたかな……」。和泉さんは、心酔したノグチの影響から抜け出て、独自の「美」を追い続ける。

※(イサム・ノグチ)
日本名は野口 勇。日本人の父とアメリカ人の母との間に生まれた、20世紀を代表する彫刻家。モニュメント、庭、公園、家具や照明、舞台美術も手がける。代表作の一つ「黒い太陽」はシアトル美術館に設置、多くの彫刻作品を各地に残した(1904~1988年)。

年齢も名声も超えた共感

和泉さんが岩を割る。悠久の時間を閉じ込めた岩を割る。ノグチと和泉さんは割られた岩の無言の声を聞いた。2人の感性が共鳴した。
「石には、計り知れない不思議なエネルギーがあります。割った岩肌に空気が触れた瞬間、ノグチ先生のブルーの目が輝きました。その時、年齢も名声も国籍も超えて理解し合えたと感じました」

和泉さんは、先祖代々の石屋に生まれて、石を掘り出し、割り、彫り、磨く知識と技術を身につけた。
「有名人に会ったこともない田舎者の私は、世界で活躍するノグチ先生のエネルギーにびっくりしました。すごいと思いました」。石職人が彫刻の世界に足を踏み入れた瞬間だった。

「わがままで、朝から晩まで怒りっぱなしの時もありましたが、褒めるのが上手で、ノミで彫っていても、ノグチ先生の手になったような気がしました」。一緒に仕事ができる喜びを感じた。今までの自分をゼロにしようと思った。「職人はやり直しを嫌がりますが、それは誤りを直すのではなく、作品をつくるために必要な過程だと思うようになりました」

芸術家の熱い情熱が、謙虚な和泉さんを彫刻家として育てたのだ。

黒い太陽

1958年、丹下健三の設計した香川県庁舎が完成した。19歳の和泉さんは、県庁の庭石に、あまり加工していない割れた石を使っているのを見た。「今までの、造園屋さんの庭石の扱い方と違うやり方でした。面白いと思いました」

64年「石のアトリエ」を主宰して、数人の仲間と石の新しい分野へ取り組みを始めたとき、当時の金子正則知事と香川県建築課の山本忠司課長からノグチを紹介された。

「最初は先生から送られてきた6種類の石膏の模型をモデルに、庵治石やカンカン石、スウェーデンの石でつくりました。次にそのうちの一つを、ブラジルから輸入した30トンもある黒御影石をノミで掘って、3mのドーナツ状の作品を作りました。完成したのは69年で、それが『黒い太陽』です」

和泉さんの仕事

ノグチの制作は和泉さんの仕事になった。「作品に合う石を見つけることから、制作、据え付けまで全部やりました。ノグチ先生が最初に言われたように、25年間2人で勉強しあったという感じです」。和泉さんはノグチから学んだ。ノグチも和泉さんから自分に無いものを吸収した。

デザインはノグチのエネルギッシュで厳しい感性から生み出される。ノグチから受けた感動を、和泉さんは素直に受け入れ石に向かう。石を見分けて、石の「声」を聞くのは和泉さんだ。互いに認め合い尊敬できなければ、信頼関係は続かない。

ノグチの没後、和泉さんは地元や世界で仕事をしてきた。「ノグチ先生はアメリカ人です。彫刻家として石の中から『メッセージ・形』を取り出します。東洋人と西洋人との違い。私は出来るだけ自分の痕跡は見せたくない……『ありのまま』でもないんですが、技巧を抑えて石にどういう息吹を与えるかでしょうね」

2007年、世界3大博物館の一つ、国立故宮博物院の前庭「無為・無不為」を制作した。和泉さんの作品は「石の永劫の命」を静かに語る。

イサム・ノグチ庭園美術館

1969年、ノグチはユネスコ庭園への作品に四国の石を使ったことをきっかけに、住まいとアトリエを牟礼町に構えた。ノグチは人生の後半、ニューヨーク州、ロング・アイランドシティのアトリエと牟礼を往来しながら作品を世界に発表したが、88年にニューヨークで亡くなった。

イサム・ノグチ庭園美術館は、この地が未来の芸術家や研究者、そして広く芸術愛好家のための源泉になることを望んでいたノグチの遺志を実現したものだ。

ノグチが亡くなって22年、美術館の敷地を拡充した。さらに和泉さんは景観を良くするため、美術館の借景になる民家や土地を買収している。

「ノグチ先生は65歳を過ぎて、1人で知らない土地へ来て、こんなきれいな庭園を造ってくれたんですから、借景を整備することがせめてもの恩返しです」
イサム・ノグチが残していった未完の作品が、牟礼の自然と調和し、広がり、展開していく。作庭家でもある和泉さんのライフワークだ。

「いまでも私の中に、一緒に勉強しましょうといわれたノグチ先生がいます」

「割れ肌」の美

石工の仕事は、山から石を切り出す丁場師と、墓石や灯籠などを作る仕立師の仕事がある。和泉さんは15 歳で仕立師になった。
そのころ「珪肺」(肺の病気。石やガラスの細かい塵を、多く吸いこんだためにおこる職業病)にかかる仕立師が多かったので、3年後に丁場師へ変わった。

「仕事は石を割ることが中心でした。機械があまりなかった時代です。『山の神さまから一個一個石をいただいて』という気持ちで、ねこ車で山から出していたんです。ですから、いまより石を大事にしていました」

和泉さんは石を割ったとき、荒々しい何かをいつも感じていたという。

芸術家が見つけたように言われていますが、『割れ肌』は石職人の間ではいつも使っていた言葉です。石は生物の根源です。大きな石が砕けて小さな石になって、砂になって、土になって、植物が育ちます。逆に樹木が地中の中で圧縮されて、長い年月を経て石に変わっていきます。石から植物へ、植物から石へ、輪廻転生みたいですね。その石を割って、力強さと美しさを持つ『割れ肌』に、空気が触れた瞬間を見るとき感動します」

和泉さんには、石工の自然に対する畏敬の念と、美を見いだす繊細な感性が生き続けている。

和泉 正敏

和泉 正敏
  • 1938年 牟礼町久通に生まれる
  • 1953年 石の仕事を始める
  • 1964年 「石のアトリエ」を設立
    イサム・ノグチと出会い、
    以後25年間石彫制作に協力
  • 1969年 シアトル美術館 彫刻「黒い太陽」*
  • 1974年 最高裁判所 彫刻「噴水」*
  • 1984年 土門拳記念館 中庭*
  • 1987年 メトロポリタン美術館 彫刻「つくばい」*
  • 1989年 高松空港モニュメント 彫刻「タイム&スペース」*
  • 1991年 カナダ大使館、丸亀市猪熊弦一郎現代美術館
  • 1992年 札幌 彫刻「ブラックスライドマントラ」*、
    郡山市立美術館
  • 1993年 播磨先端科学技術センター
  • 1994年 東京都現代美術館、京都コンサートホール
  • 1995年~ ジャポネクスピア9(サンフランシスコ)にて
     ギャラリー展を開催
     豊田市美術館
  • 1996年 東京オペラシティ、札幌モエレ沼公園「プレイマウンテン」*
  • 1997年 新国立劇場
    国営讃岐まんのう公園・昇竜の滝
  • 2003年 ジャポネクスピア9(サンフランシスコ)にて
    4回目の特別展オープニング
  • 2005年 京都迎賓館 大滝石工事
  • 2007~08年 サラトガ
       台湾・国立故宮博物院 前庭石彫「無為・無不為」
  • 2009年 東京・経団連会館、観音寺市斎場
  • *印は、イサム・ノグチの作品

イサム・ノグチ庭園美術館

所在地
高松市牟礼町牟礼3519
TEL 087-870-1500/FAX 087-845-0505
http://www.isamunoguchi.or.jp

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