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【PRIME PERSON】「BONSAI」守るものと変えるもの - 小西松楽園 園主 小西 幸彦さん

矮小(わいしょう)化の魔術、盆栽は、「BONSAI」(ボンサイ)として世界の共通語になった。「松盆栽の産地・高松」は全国シェア80%を誇り、海外にも知られるが、高齢化と後継者不足は、伝統技術で生きる他の国内業界と変わらない。大型盆栽の需要が激減、小型化、低価格化の波をもろにかぶっているところも、中小企業共通の悩みだ。

そんな中、来年の秋に世界最大のBONSAIイベント「アジア太平洋盆栽水石大会」が高松で開催されることになった。誘致に奔走した実行委員長で、小西松楽園園主、小西幸彦さん(68)は、讃岐の、職人の、意気込みを語る・・・・・・「世界の愛好者に『松盆栽の産地・高松』の歴史と伝統技術をアピールして、新たな活路を、世界に、開きたい」。目が輝く。

※(松盆栽の産地・高松)
高松市鬼無地区と国分寺地区のこと。

※(水石)
観賞石のこと。見る人の想像力でさまざまな自然の情景や仏教の「空」思想を楽しむもので、起源は中国から伝来したといわれている。

アジア太平洋盆栽水石大会

略称ASPAC。1991年にインドネシアで第1回大会が開催されて以来、2年に1回、アジア各国で開催されてきた。アジアだけでなくヨーロッパや南北アメリカなどの国々も参加する、盆栽と水石の実演と展示では世界最大の国際大会。

高松大会は2011年11月18日から21日までの4日間、サンポート高松や玉藻公園、栗林公園、高砂庵(新居浜市)を会場に開催され、鬼無・国分寺地区の生産地を巡るツアーの計画もある。参加者は約20の国と地域から約3千人を見込んでいる。

国内市場は先細り

海外で盆栽の愛好者が増えている。「欧米やアジアでは、自国の木を盆栽に仕立てるほど盛んです。盆栽が世界に広まって、園芸の一分野として世界基準になりました。そして柔道と同じように外国勢のレベルが上がっています」

日本盆栽協同組合鬼無支部長を務める小西さんは、「松盆栽の産地・高松」の将来に危機感を持っている。

盆栽農家は約270戸。栽培面積も最盛期1960年代の半分以下まで激減した。景気の低迷で、黒松などを中心にした経営から、雑木、山野草の盆栽を増やす傾向もある。

「盆栽がホームセンターで売られるようになって、単価の安いものしか売れなくなりました。昔は立派な盆栽を床の間に飾っていましたが、ライフスタイルが変わって、和室が少なくなったんです」

世界があこがれる日本の「BONSAI ART」(ボンサイ アート)に、若い世代の関心は低い。愛好家は50から70歳代の男性が中心だ。若年層や女性の顧客をどう開拓して、生活様式の変化に合わせた需要をどう伸ばすかが課題だと小西さんはいう。

輸出は手間も経費もかかる

「オランダから園芸業者や愛好家が、鬼無まで買いに来た時は、感激しました」・・・・・・小西さんは、25年前、ヨーロッパへの販路を開いた先駆者の一人だ。土付き植物の輸入は、ヨーロッパでは禁止されているが、欧州連合(EU)が「輸入植物検疫」の条件を統一したことで、この条件をクリアすればOKになった。

「それで、初めて盆栽をヨーロッパに輸出できるようになったんです。90年には高松市の姉妹都市フランスのトゥール市で、盆栽作りを実演しました。関心の高さにびっくりしました。盆栽を輸出するには、手間も経費もかかりますが、盆栽で交流できる楽しみは、それ以上です」

※(輸入植物検疫)
対象は、病害虫の付着する可能性がある栽培用植物(苗、苗木、穂木、球根、種子など)、食用の野菜や果物、観賞用の切り花、木材、その他乾燥した植物などの他、生きた昆虫・微生物など極めて広範囲にわたる。日本にも対外国向けの検疫がある。

早く・太く・大量に

「松盆栽の産地」は、五色台のふもとの鬼無・国分寺地区だ。一帯は砂の多い土壌の斜面で、米や作物には不向きだが松の栽培に適している。

「盆栽業者の収入源は販売と管理です。大都会近郊には『お金持ちが高価な盆栽を買って管理を任せる』市場があります。香川ではそんな盆栽業は成り立ちません」

不利な条件を克服したのは、「早く・太く・大量に」戦略だった。それを可能にしたのは、先人たちの優れた接ぎ木の技術と、ほかの産地に無いノウハウだった。

「どこの産地も盆栽は植木鉢で育てますが、ここでは畑に種をまいて大量に栽培します。そして種まきから2年目に、針金をかけて幹をぐいとねじって、また畑に植えます」。針金かけは、幹に痕が残るので、ほかの産地ではやらないという。

「山で、蔦(つた)が巻きついた木は幹が太くなっているでしょう。その性質の利用です」。針金を巻けば幹も曲がるし、早く太くなる。針金の痕は年数がたてば消える。

早く、太く、大量に比較的廉価な盆栽を生産するためのノウハウが、黒松を中心に五葉松、錦松の「高松」を世界的なブランドに高めたのだ。

明治初期に盆栽の隆盛に貢献した主な人たち

※鬼無地区
村人に接ぎ木を伝授した高橋周輔。松柏の苗木で巨利を得た北山太作。高橋に学び米国からリンゴの苗を輸入した鬼無甚三郎。甚三郎の技術に注目して松やヒノキを盆栽に仕立て、販路を朝鮮半島から琉球まで広げた渡辺半太郎。

※国分寺地区
山掘りの錦松から接ぎ木で錦松を大量生産した末沢喜市。

盆栽修行

小西さんは、子どものころから家業の盆栽園を手伝い、鬼無中学校では盆栽クラブに入った。そこで指導を受けた桶上小一(ひのうえこいち)さんにあこがれて弟子入りした。

「先生の作業は無駄がない。素材を見た瞬間、頭の中に完成した型が出来ている。無理に下げると折れてしまう枝が、先生の手にかかると木を傷めず下げられるんです」

高松工芸高卒業と同時に家業についた。60年代初めごろ盆栽ブームが起きた。「盆栽を初めて手掛ける農家が増えて、1月から3月ごろまで5年間、先生と一緒にそんな盆栽農家を回って針金かけをしました」

美しい形になるために、どうして欲しいのか、木と対話することを教わった。

中国ビジネス

国内の盆栽市場は縮小傾向だが、海外ではアジアを中心に、日本の庭木や盆栽のニーズが増えてきた。とくに中国では需要が一気に拡大している。

「中国人が大勢きて、盆栽も買いますが、庭木の松を、何千万円も買っていきます」。輸出事業に詳しい小西さんは、海外市場の動きに敏感だ。去年から中国へ、庭木の松を仲介している。

次世代へ「数百年」を引き継ぐ

小西松楽園は3代続く家族経営だ。祖父の新太郎さんから父の豊さんへ。父から小西さんへ。樹齢約250年という黒松の盆栽を受け継ぎ守ってきた。「数百年」の年輪を見守る「盆栽文化」の継承だ。

「10年ほど前に息子の康雄(46)が、『そろそろおやじも年だから』と勤めていた建設会社をやめて家業に入りました。二世帯分の家計を支えるのは大変ですが・・・」。小西さんはうれしそうに笑った。

6年前、小西さんは体調を崩した。順調に回復したが人生の「残り時間」を垣間見た。病後は毎日の仕事が楽しくて、次を継ぐ息子をもつ幸せを感じている。国際大会をきっかけに次の世代が、「盆栽」をどう変えて行くのだろう・・・・・・。「これからどんな盆栽が求められるのか。守るものと変えるものを見極めます」。この道50年、小西さんの意欲は衰えない。

五色台のふもと、丘の中腹にある小西松楽園は、西にやわらかな山々の稜線(りょうせん)が見渡せ、南東に農園が広がっている。春の光に満ちた松やオリーブ、ブルーベリーの畑が印象派の絵のようだ。康雄さんが畑でブルーベリーの苗木の手入れをしている。

「4年前に、ブルーベリーの苗木の生産を手掛けました。去年やっと実が採れるようになって、試験的に入園料800円で、食べ放題の摘み取り園をやりましたが、今年の夏、本格的オープンします」

ブルーベリーの実はすずめの大好物だという。「すずめよけのネットに、空中から飛び込んで、狭い網目をすり抜けて実を食べるんです。稲のネットには入らないのに」。小西さんの口調は穏やかで優しい。

「去年、ブルーベリーの畑にミツバチがなかなか来ないので心配しました。ようやく数匹見つけてほっとしました。ミツバチのおかげで無事花が咲いて実がなりました」

※追記
我が家のブルーベリーは、去年一粒も実がならなかった・・・・・・。ミツバチの異変は世界的な現象だそうで、深刻です(宮川)。

小西 幸彦

小西 幸彦
  • 1941年 高松市鬼無町生まれ
  • 1959年 高松工芸高等学校卒業
    家業の小西松楽園に従事
  • 1987年 日本盆栽協会 公認講師 認定
  • 1998年 鬼無盆栽センター副組合長 就任
  • 2003年 日本盆栽協同組合鬼無支部長 就任
  • 2010年 第11回アジア太平洋盆栽水石大会
    実行委員会委員長 就任

褒章

  • 1990年 国際花と緑の博覧会 金賞受賞
  • 2003年 第41回香川県フラワーフェスティバル農林水産大臣賞 受賞
  • そのほか数々の受賞歴がある

小西松楽園

所在地
高松市鬼無町佐藤217
TEL 087-881-2912/FAX 087-881-2912
http://www.kinashi-bonsai.com/konishi/
園主 小西 幸彦、小西 康雄
創業 1887年ごろ(明治20年代)
従業員数 4人(家族経営)
栽培面積 1.5ヘクタール
鉢植盆栽 5000鉢
路地(養成中) 3万5000本

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