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【PRIME PERSON】次世代へ継ぐ・・・・・・先人の「開拓者魂」と「やわらかな発想」 - ハシセン 代表取締役会長 橋本 康男さん

生産量で全国シェアの90%を占めるという香川の手袋は、有名ブランドで販売されるので、製造元の実像が見えにくい。

「プロゴルファーやプロ野球選手など、トップアスリートの手袋を作っていることが知られていません。品質の高さや技術力、先人のこころざしを次の世代に伝えたい」・・・・・・日本手袋工業組合の副理事長で、「ハシセン」会長の橋本 康男さん(66)の思いが、2008年、「てぶくろ資料館」として実った。香川の手袋産業120周年記念事業の一環としてだ。

26歳で、創業社長の父、千五郎さんを亡くして後を継いだ。素材の開発や改良を重ね、日本で初めて人工皮革のゴルフ手袋を商品化した。中でも「天使のグローブ」と言われ、皮膚のように手になじむ手袋は有名だ。橋本さんの、手袋産業への思いは、熱い。

※(天使のグローブ)
2004年7月1日発行のゴルフダイジェスト7月号の記事

手袋産業に誇りを

1988年、手袋100年祭の記念イベント「世界手袋サミット」が開かれた。2年前、120周年記念祭では、昔の手袋や、材料、道具などを仮設パビリオンに展示した。両方の事業にかかわった橋本さんは、先人の残した資料を集めて、業界の足跡をたどった。

「開拓者魂が伏流水のように、今もこの土地に流れていることに気付きました。次世代に、先人のこころざしを継ぐことが、手袋に携わる者の使命だと思ったんです」

資料館の開設と維持には資金が必要だ。まず橋本さんは仲間と協力して「バーチャル手袋資料館」をネット上に開設した。

「手袋業界へ若い人にどんどん入ってきてほしい。そのためには香川の手袋が、トップアスリートを支えている事実を知ってもらうことに尽きます。彼らの活躍に自分を重ねて手袋産業に誇りを持ってもらえるからです」

この行動と説得が、日本手袋工業組合を動かし、120周年記念事業として、仮設パビリオンを充実させた「てぶくろ資料館」が、組合事務所のとなりに常設された。

※(世界手袋サミット)
イタリア、スペイン、ドイツ、中国、韓国、アメリカと日本の7カ国が参加、旧引田町役場で開催された。

※(香川のてぶくろ資料館)
開館時間/9~17 時(入館は16時半まで)
休館日/年末年始
入館料/無料
住所/東かがわ市湊1810-1
電話/0879-25-3208
URL/http://www.glove-museum.com

手袋技術の遺伝子

手袋産業生みの親・両児舜礼(ふたご しゅんれい)、手袋産業育ての親・棚次辰吉(たなつぐ たつきち)、生産技術向上の立役者・神崎長五郎、海外市場開拓の先駆者・成瀬歌吉、地元に工場を建てた実業家・森本吉太郎などのおかげで今の手袋産業があると、橋本さんは力説する。

手袋が産業基盤を確立したのは、第1次世界大戦(1914年)の特需だった。日本に大量の注文が押し寄せた。現在の東かがわ市に、大阪手袋株式会社(棚次辰吉社長)と東洋手袋株式会社(森本吉太郎社長)が、それぞれ社員1000人余りを抱える工場を建てた。

「手袋は手工業です。工場は無くなりましたが、手袋づくりを身に付けた合計2000人の遺伝子が、技術となって今の手袋産業につながっています」

53年創業の「ハシセン」が、75年に移転した現在の場所は大阪手袋の工場跡地だ。

その棚次辰吉社長が1902年に特許を取ったミシンの写真を、橋本さんは誇らしげに手に取った。

「ドイツから送って来た商品見本の刺繍(ししゅう)をヒントに、ミシンを改良したんです。その記念写真です」。棚次辰吉は3回欧米へ渡航したという。104年前、ニューヨークで米人バイヤーと一緒に写した写真も残っている。資料館ができたことで、開拓者魂の記録も確実に受け継がれている。

有名プロゴルファーの手袋を作る

「ハシセン」はゴルフと共に発展した。「父親が、あるご縁で、ゴルフ用品事業を始めたダンロップさんと接点ができたんです」。輸入品だったゴルフ用品が国産化され始めた。

「当社の、女性用革手袋の製造技術と素材が生かせるので、ゴルフ手袋を始めたんです」。手袋は季節商品だ。通年商品のゴルフ手袋が主力になって、工場稼働が平準化できた。

ゴルフの大衆化で市場は拡大した。「ハシセン」はダンロップのゴルフ手袋としてシェアを確保した。

「現在、石川遼、中島常幸、横峯さくら、古閑美保、森田理香子などの手袋は当社製です。青木功プロ愛用の黒い革の手袋は、30数年作らせていただいています」。青木功プロは、縫い目が手にクッキリ残るほどタイトな仕上がりが好みだが、中島常幸プロは、ルーズで厚めの滑り止め機能を持たせた人工皮革だ。石川遼プロの手袋は、手のひら側を厚く、甲側を薄くした人工皮革だ。

※(ダンロップ)
イギリスのゴム、タイヤメーカー。1909年、日本で最初のタイヤ工場を神戸市に設立。日本でのダンロップは住友ゴム工業の一ブランドになっている。

人工皮革の手袋

ヤギ、羊、カンガルー、鹿など小動物の皮は、生息場所で品質が異なり、価格も不安定だ。ダンロップの担当者が、クラレの開発した人工皮革に注目した。

「商品化に3年ほどかかりましたが、1975年に全天候タイプとして売り出しました。革は雨にぬれるとぬるぬるするし、乾いたら硬くなります」。その欠点を補う新素材の機能が市場に受け入れられた。

形状が均一ではない革は一枚ずつ裁断するが、人工皮革は大量に裁断できる。「製造効率がいいし、素材ロスも少ないのでコストが下がります。大きな違いは、『もっと薄く、もっとやわらかく』などの要望に、技術力で応えられることです」

人工皮革製ゴルフ手袋が普及したのは、共同開発したダンロップやクラレとの、マーケティングや宣伝戦略が成功したからだと、橋本さんは、謙虚に語る。

※(クラレ)
株式会社クラレ。化学、繊維をはじめとする繊維企業グループ。

ピンチで学んだ「取引先のために何が出来るか」

バブル崩壊でゴルフ市場が三分の一に収縮した。消費構造が変わって革手袋が売れなくなった。「ダンロップと共に歩んできた当社は、売り上げがピーク時の半分に減って、大ピンチになりました」

タイミングよく、中国の自社工場が立ち上がって製造コストは削減できた。新商品の携帯電話ケースの販路も開けた。しかしピンチは続いた。

突破口はダンロップの担当者だった。競合他社との取引を了解してくれたのだ。これをきっかけに、有名一流企業との取引が順調に進んだ。

「ダンロップさんのおかげで息を吹き返すことができたんです。『取引先のために何が出来るか』を真剣に考えてくれた担当者がいたから、です。これまで何度も危機がありましたが、最後は、人の信頼関係、相手の立場を思う心に行き着きます」。橋本さんの目が、潤んでいるように見えた。

需要創造

「業界や地域の盛り上げ、協力があってはじめて会社があるんです。世の中の役に立つ視点を忘れないよう肝に銘じています」

地域への思い、手袋産業への思いを語る橋本さんは、「創業社長である父の突然の逝去、経営が何かも分からなかった私は、社員や取引先、父が築いた人脈に支えられてきました」と40年の経営を振り返る。

「手袋事業を120年間、続けてきた会社は一社もありません。環境の変化に適応できないと生き残れないのは、厳然たる事実です」。口元が引き締まる。

残さなければいけないもの、変えなければいけものはなにか。橋本さんは、先人の開拓者魂を次世代に継いで、新たな需要創造を目指す。

地図を逆に見ると・・・

橋本さんは30年以上前に、萩原茂裕(はぎわらしげひろ)さんの講演を聞いた。「生まれ育ったふるさとを自慢できるようにしよう。見方を変えたらどの地方にも良いところがある」という話だった。

「日本地図は上が北海道で下が沖縄でしょ。逆さまにすると、ものの見方が変わるという発想が印象的でした」

橋本さんは、子どもたちが大人になって東京や大阪に出たとき、郷土を自慢できるように、地元で知られていない手袋の姿を教えようと考えた。

「夏休みに、白鳥神社に子どもたちを集めて、素材や道具など、手袋づくりの大筋が遊びながら覚える宝探しをやりました」

橋本さんの発想はやわらかい。「仮に複雑な問題があったとしましょうか。それを解決するためには、整理して、課題を把握して、じゃあそれをどうするか。まず見る角度は、左右と上下があります。見る時期も、現在、過去、未来の時間軸があります」

過去や現在は変えようがない、しかし明日は変えられる。手袋博士とも言われる経営者、橋本さんの生き方だ。

※(萩原茂裕)
まちおこしのパイオニア。「日本ふるさと塾」主宰。

橋本 康男

橋本 康男
  • 1944年 東かがわ市生まれ
  • 1966年 明治大学政治経済学部卒業
    コンドー・フアー・イースト(株) 入社
  • 1968年 (株)橋千商会入社
  • 1970年 代表取締役社長 就任
  • 2009年 代表取締役会長 就任
  • 現在に至る

公職及び褒章

  • 2001年 日本手袋工業組合 副理事長就任
  • 2008年 黄綬褒章 受章

ハシセン

所在地
東かがわ市松原288-2
TEL 0879-25-2191/FAX 0879-24-1105
設立 1953年
代表者 代表取締役会長 橋本康男
代表取締役社長 橋本庄市
資本金 7500万円
従業員数 30人
事業内容 ・グローブ(ゴルフ、ファッション、各種スポーツ)
・携帯電話、各種業務用キャリングケース
・介護、医療用アイテム
中国工場 天津橋千服飾有限公司

沿革

  • 1953年 有限会社橋千商会設立、ドレスグローブ製造開始
  • 1965年 株式会社橋千商会へ改組
  • 1966年 本格的にゴルフグローブ製造開始
  • 1975年 本社の移転新築
    日本で最初に人工皮革製ゴルフグローブ発売
  • 1988年 韓国にてゴルフグローブ委託加工開始
  • 1992年 株式会社ハシセンと商号変更
  • 1994年 中国・天津橋千服飾有限公司 操業開始
  • 1995年 携帯電話キャリングケース生産開始
    インドネシアにてゴルフグローブ委託加工開始
  • 2004年 中国・青島にてゴルフグローブ委託加工開始
  • 2007年 本社 ISO9001:2000承認取得

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